(15)トラと闘った傷跡⁈

この時、いろんな選択方法があったことを
そのあとずいぶん経ってから知る時はくるのですが
なにせ、世間を知らなすぎるオジョウチャンは
目の前に起こっていることさえ把握できないありさまな訳ですから
的確な判断…なんていうのは程遠い話でした。
ただ、この頃
私たち家族の周りには
いまのわたしの周りにいてくださるような
そんな『人物』達とのご縁がまだなかったことだけは明白です。
その頃、私たち家族を取り巻いていた人たちからは
本当に様々なアドバイスや、欲がらみの助言もあったようですから…。
ま、その話は横に置いておいて…
ここで少々ブレイクタイム♡
我が家がいかにどんな時も能天気でぼよーんとしていたかを
ご紹介したいと思います(笑)
結局…息子はそのあと数回のクールでの入退院は繰り返したものの
小学校の高学年を迎える頃には『寛解』といわれる診断をいただきました。
あ、そういえば…その時に驚くようなことが…
主治医からのことばのなかに
『クスリが合ってよかったですね…』
なんて言う…なんでもない一言だったのですが
『それってもしかして、たまたま合ったっていうことですか?』
って、お聞きしたら
悪びれた風もなく、当然…という様子。
驚きました!
もし、クスリが合わなかったらどうなっていたのかって…
まあ、考え方を変えれば、息子は超ラッキーだったということですけどね!
そんな超ラッキーの甲斐もあり
その後、中学、高校、大学と…ずっとバレー部のキャプテンを務めさせていただくほど
彼は病気のことなど誰もが忘れるほど元気にさせてもらってました。
そんな彼が中学生になったばかりのある日のこと…
次男であるその息子が中学生
長男は高校生
一番下の弟が幼稚園児だった時のエピソードです。
いつものように
お兄ちゃんと一緒にお風呂に入って出てきたら
一番下の弟がこんなことを聞くのです!
『お兄ちゃんの胸のところにあるキズなんやけどさあ…
それ、何したん?って何回聞いても
「お兄ちゃんはな、トラと闘ったんや!」
って言うんやけど、それってほんとなん????』
息子の左胸には大きな傷跡がありました。
大学病院に入院してすぐ…1歳半の彼にすぐさま病院の判断で手術をしたのです。
腫瘍を取り出すための手術でしたが
結局、その腫瘍があまりにも心臓に近すぎてさわれない…ということで
開いて閉じた…だけの手術。
何にもならなかったものの、それでも大きな傷跡だけは残りました。
その傷のことを…
よくもまあそんなことが言えたものだと(笑)
次男の、驚くようなその…口から出まかせぶりには笑ったものの
まだ本人に病気のことを
なんの説明もしていないわたしは
いったいなんて説明しようか…
本当のことを言うべきか…
もう少しオトナになってからにする方がいいのか…と
ああ、急にそんな話題になっちゃったーーと
瞬時に判断がつかず次の言葉を探しながら
内心ドギマギしていたのです。
そしたらなんと、すかさず横から白髪さまがひとこと…
『なにを言うとんのや(笑)
〇〇〇君は、【ガン】やったんやぞ…』
って、こともなげにサラッとそんな言葉を言い放ってしまったのです!
慌てふためくわたしを
誰も気にすることなく
『えええええーー!〇〇○くん、ガンやったんーー?』(驚きとともになぜか笑う妹と弟)
『え?〇〇○、ガンやったん?』(苦笑いする長男)
そして…
『えっ? ぼく、ガンやったん???』( なんと!本人!笑)
『なに?あんたたち、みんな知らんかったん?』(と、すっとぼける白髪!)
ということで…
いつになったら…いや、いったいいくつになったら…
本人に病気のことを打ち明けるべきか
不意に尋ねられたりしたら
包み隠さず本当のことを言った方がいいのか…と
ひとり恐々とその日が来るのを恐れていたわたしの杞憂は
彼のサラッと過ぎる一言であえなくモクズと消え去ったのでありました。
そして
息子と病院で過ごす時間や退院してからもずっと…
この子にこんな思いをさせてしまったのはわたしのせいだ…
と、どれだけ自分を責めたかわかりませんが
その責めに責めた自分への許せない気持ちも
この能天気な人たちの笑い声と一緒に
どこかへ消えてしまったような瞬間でもありました。
ただ…さすがに、長男は知っていたんじゃないかと思って尋ねたら
『え…だっておばあちゃん、〇〇○は風邪で入院しとるって言うとったもん…』
ですって(笑)どんだけ長い風邪やねん⁈って…家族中から思いっきりツッコミ(笑)
一事が万事、こんな調子の家族なのです。
けっこうシリアスな現状の最中も
今もこうしてぼんやりしたままいられるのは
こんな調子で過ごしてきたからかもしれません(笑)
父が亡くなり、白髪のおじさんと籍を入れてから一年半後
待望の女の子を授かりました。
そして、その2年後…
平成10年に末っ子となる寅年の男の子を授かったのですが
わずかに平安を感じていたそれまでの2年間とはまったく異質な
激動の平成10年を迎えることになります。

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