(17)【 倒産 】

週明けの月曜日には2回目の不渡りが出るのです。
それを待つ夏休みに入ったばかりの週末は、本当に生きた心地のしないものでした。
テレビや映画の世界で見る【倒産】劇しか知らないのですから
あれと同じことが今からわたしの身に起きるのだと…
想像しただけで、身がすくみ逃げ出したくなる思いがします。
ところが
すでに、万事休す…な訳で
どうにもこうにも何をしたらよいのかもさっぱりわからず
恐怖と不安だけが心の中を占領しています。
そんな土曜日の昼間
白髪のおじさんがわたしに言いました。
『俺は、逃げるつもりはない。
逃げれば追いかけて来るだけや。
俺一人が、事務所にいれば債権者が来ても対応はできる。
お前たち…おんな子供は
怖かったら一週間くらいビジネスホテルへでも行ってくるか?』
なぜかしら、この時の言葉は一言一句明確に覚えています…
倒産 イコール 夜逃げ…だと勝手に想像していたいわたしは
その意外な言葉にびっくりしました。
乳飲み子を抱えて
どうやってどれだけの荷物をどこへ移動させるのだろう…
と、ひとりであれこれ想像するだけで…
彼からその言葉を聞くその時まで
わたしは彼にこれからどうするのかと、ひと言も問いかけることもしなかったのです。
自分一人が残るから、ビジネスホテルへ行くか…
というその言葉は本当に頼もしく嬉しかったし
そうできるなら子供たちに嫌な思いをさせなくて済むんじゃないかと思いました。
ところが…ところがです!
その…ビジネスホテルへ行くためのお金さえないのです!
全てを切り崩し全てを返済のために放出してしまっていたのです。
バカ…がつくほど、正直に…。
それさえもないのか…と、悲しくなり途方に暮れたものの
ないものはない!どうしようもないのです。
その日が来ても、彼と一緒にここにいるしかなく…
それよりも、ここまでやってくれた彼に
まだこの上ひとりでそんな思いをさせるのは本意ではないと…
わたしも、逃げない!
と、そう決めました。
世の中には…計画倒産なるものがあることも
その時のわたしはまだ知りませんでした。
夫はきっと百も承知で知っていたでしょうが
決してそれを選択はしなかったのです。
土曜日も日曜日も、何事もなかったかのように
陽は沈み、また陽は昇り…いつもと変わらない朝がきます。
この日ほど、朝が来るのが怖く
来ないでほしい…と思ったことはなかったでしょう…
いよいよその月曜日
夫は、朝出たきり夜遅くまで帰って来なかったと思います。
銀行が閉まる3時までは表面上は何事もない日のフリはできますが
3時が過ぎればそうはいきません。
3時を過ぎたあと、どんなことが起こったのか
わたしにはわかりません。
ただ、翌朝届いた新聞に
【近藤】【10億】【倒産】
なんていう文字が踊っていたのだけはわたしの目にも入ってしまいました。
そして、2回目の不渡りを出した翌日…何が起こったか…
彼は、言葉通りに
自分ひとり会社に行き、どんな人が来ようとそこで対応しようと
朝から家を出ました。
ちょうど夏休みに入ったこともあり
子供たちを学校へ送り出すこともなく
家の中でひっそりと…子供達にはいつもと変わらない風景で
その日の朝が始まりました。
その日、何にびっくりしたか…って
我が家は、お隣のおうちが隣接して立ち並ぶ…という場所ではなく
大きな道路から一本中に入ったところにあることもあり
家の前の道路は
1日に数台しか車が通らない…というような立地なのですが…
朝から
普段は1日に数台しか通らない決して広くもないその道路を
どれだけの車が行き来したことか!
それも、スピードを落としてゆっくりとです…
へえーーみんなこうやって人の不幸を見に来るんだ?
そりゃ、新聞にまで載っちゃ隠しようもないから仕方ないけど
それでも…好奇の目…ってこんなに露骨なんだ…って
わたしは、その日から
外へ出るのが怖くなりました。
夫が帰ってきて言うには
重機置き場に置いてあった重機は
すべていつのまにかなくなっていたらしいです。
夫の言葉通り
彼が、会社にいてくれることで
わたしや子供達には大過は及びませんでした…
たった一人を除いては…。
その人は、下請け業者さん。
鮎釣がお上手らしく
毎年鮎の解禁になると、いの一番に大漁の新鮮な鮎を届けてくださり
炭をおこして贅沢なバーベキューをさせていただいておりました。
その方が、唯一
会社ではなく、おんな子供だけがいるこの場所に来た方でした。
玄関を開けるなり、当たり前ですが
鬼のような怖い形相で
靴を履いたまま家の中に入って来られました。
ひと言…『金目の物をもらって行く‼︎』とこちらを睨みつけ
そのまま座敷や離れの方に向かって行きました。
土や泥の付いたその靴のままで…。
内心…
探しても、もう何もありません…ごめんなさい…
と思いましたが、それを声に出すことは怖くてできませんでした。
思う存分探してください…土足のままで…
ひたすら黙って、あちこちの部屋に土や泥が落ちるのを待ち
玄関まで戻って来られたその人に
床に頭を擦りつけてただただ詫びることしかできませんでした。
『申し訳ありません…』と。
絞り出すような思いで、その一言を音にするのが精一杯でした。
お金にならないから…と、骨董屋さんさえ持って行かなかった大きな壺を
その人は抱えて、玄関からその靴のまま
なにか捨て台詞を吐きながら出て行かれました。
その音は、もうわたしには聞こえていませんでした。
それよりも
まだ湿った感じの泥や土が付いたままの玄関や廊下や畳が
わたしに、惨めな現実を教えてくれました。
その日のことで覚えていることは
たったそれだけです。
子供達がいるのですから
ご飯も作り、テレビもつけていたでしょうが
どれも覚えていることはありません。
人さまに、土足でこの家の中に上がられるようなことを
わたしはしてしまったんだ…と
ようやくなにも知らないオジョウチャンが
少し世間を見させてもらった…そんな日でした。

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