(16)後悔

平成10年。
白髪のおじさんの孤軍奮闘はハンパなく
2年半ほどで…20億あった負債は、10億近くまで減っていました。
ところが、もう売るものは何もありません。
バブルなんて遠いむかし…
二足三文にしかならない土地も売り、骨董品…と言われるものもすべて売り
お金になるものはとにかくお金にして返済に回しました。
ところが、もう何もないのです。
とうとう万策尽きた…という状況です。
春になり私のお腹はどんどん大きくなっていきます。
なんとなく彼が眠れない日々が続いているのではないのかとは思っていましたが
なんせ、彼は私には相変わらず何も言いません。
会社で、どんなことがあったにせよ
一歩家に入ると、まだ小さい…それでもこまっしゃくれた娘の様子を見て
ニコニコしているだけです。
切羽詰まった様子もほとんど感じません。
ただグースカ寝ている私の向こうで
眠れない時間を追いかけている彼がいることだけは気がついていました。
5月半ば…陣痛が来て、産院へ向かいます。
立会い出産なんていうのをするタイプでもなく
廊下でウロウロ待っているわけでもなく
たぶん、ちょっと呑んで戻って来たら産まれてた…
なんていう…たぐいのオットなんです。
元気な男の子が産まれて胸をなでおろした
その翌日です、ことが起きたのは…
彼から、夜…産院に入院しているわたしに電話が入りました。
受話器の向こうは少しいつもと様子が違うような気配です。
なんだろう…と思う間もなく、彼が切り出しました。
『明日…不渡りが出る…』
彼が、会社を引き継いでからは
わたしも経理の仕事を手伝っていましたので
日々、本当に綱渡り…のように
何百万円、多いときは数千万円の手形や小切手の決済をしていましたから
状況はわかっていたつもりでした。
でも、どこかで過信していたんでしょうね?
ここまでこうやって綱渡りできてきてるんだから
これからもこのまま綱を踏み外さず渡っていけるんじゃないかって…
覚悟のないところへの
不意の一撃のその一言に
とっさになんて答えることがいいのか…ただただ混乱したまま
なんと、わたしの口から出た言葉は…
『じゃあ、この子の名前…【わたる】くんにする〜?』
…という、それはもう能天気を通り越したおバカな返答をしてしまったわけです(笑)
とにかく…これ以上彼に負担をかけないようにするには…
と、なけなしの頭がひねり出した彼の気を楽にする為のひと言のつもりでしたが…
『アホか‼︎』のひと言で、みごとに撃沈(笑)
そのあとは
『わかった…ありがとう…』
というのが精一杯でした。
産院を退院して、家に戻ると
それまでの雰囲気とはやはり何かが違います。
一度出してしまった不渡りは、どうやったって覆すことはできません。
夫の顔色も心なしか違う気がするほどです。
ピリピリムードは、感じようとしなくても感じてしまいます。
ところが、ありがたい事に
わたしは家の中で、産まれてきた小さな命にかかりきりにさせてもらえました。
その頃、本当に不思議だったのですが
会社の中では、というか…彼の頭の中では
四六時中…いろんなことを思案し、算段し
イライラする時間しかなかったのではないかと思いますが
家族の前では、それを一切態度に出さない人でした。
わたしが、逆の立場なら
嫁の親が作った莫大な借金で
俺がどうしてこんな思いをしないといけないのか?
って、もしかしたら、嫁に当たったりイヤミを言ったりしたかもしれません。
そんなことは、本当に一度もなく
産後の不安定な時期も、なんの支障もなく過ごさせてもらいました。
そんな中、彼が一度だけ弱音を吐いたことがあります。
1回目の不渡りが出て一カ月ほど経った頃だったと思います。
夜遅く…やけに真面目な顔で
『どうする?
俺もさ、もう…ちょっとしんどいわ…』って。
すぐさま返事ができず…
その先にある【倒産】というふた文字に
得体の知れない恐怖だけを持っていたわたしが
生後一カ月の男の子におっぱいを飲ませながら
口から出た言葉は
『なんとかなるなら、してほしい…』
だったのです。
わたしは、わたしの一生の中で
この言葉ほど後悔している言葉はありません。
乳飲み子を抱えて【倒産】という憂き目にあう事への恐怖が
こんな言葉を出させてしまったのですが
それでも、この言葉が
このあと、彼をもっと苦しめる事になってしまったのです。
あのとき
『もういいのよ…本当によくやってくださってありがとう。』
って、どうして言えなかったのか…って
その後悔は、実は20年近く経った今も
そのまま持ち続けているのです。
わたしのこの言葉が引き金になり
彼は、またそこから
今思えば…無駄な抵抗…になってしまうことをしてくれたのです。
結果的に
倒産する日にちは延びたものの
負債は増えてしまった…という
本当に申し訳ない結果を生み出してしまいました。
今でも、あの時のわたしの言葉と
彼の、押し黙った様子を思い出すと
本当に心が痛みます。
5月に1回目の不渡りが出て
そのあと、2回目が出るのはもうどうやっても防ぐことはできなかったのです。
7月、ちょうど子供達が夏休みに入ったその日曜日が明けた月曜日に
いよいよその日がやってきます。
夏の暑さなんて
感じることもできない…そんなひと夏を過ごす事になりました。

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